自由に展開するアジアの音楽
ポップミュージックの市場としてタイやインドネシアに日本のアイドルなどが進出したりする流れが2010年代初頭にあった。今はどうだろうか。
正直なところ、アジア圏全体のことでは音楽や文化などはアメリカやヨーロッパの後塵を拝しているイメージを持っていた。ただ2013年頃からマレーシアやインドネシアに行くようになって別のイメージを持ち始めている。
インドネシア人によるジャズにライヴで最初に触れたのは、2012年のマレーシア・ボルネオのサラワク州主催で行なわれたボルネオジャズで観たニタ・アースティンというピアニストのライヴ。
ニタはロシアでピアノの高等教育を受けて、そのままフルタイムのピアニストとして活動している。
ミシェル・カミロのようなリズミックなプレイに変化したり、ラーガなどを用いたりもする。変拍子も多様し、ワールドミュージック的な要素も大きい。
この時、ドラムを叩いていた若手ドラマーのサンディ・ワラタはバリ島出身なのだが、そんな彼がエリック・ハーランドやクリス・デイブ、ジェフ・バラードなどのコンテンポラリーなドラマーたちの影響を受けてフォローしていてインドネシアジャズの懐の深さを垣間みたのが初めだった。
この時のフェスではオランダからニュークールコレクティヴが参加していた。ただラインナップは2日で8グループと州政府の資金投入のわりには少し小規模なもので地元のグループなどもほぼいない。またジャズフェスといってもジャズよりもダンスミュージック的要素を全面に出しているグループを積極的にブッキングしていた。
マレーシアではEDMはじめビート感のある音楽が人気があり、ある程度メインストリームのジャズであってもまだまだマイナーな音楽。またこのフェスが開催されたミリという街は石油で栄える街だが人口も少ない。
一方でこの街から世界へ羽ばたいたZee Aviというシンガーがいる。が基本的にマレーシアにはまだそこまでジャズという視点で音楽を聴くという土壌はあまりない。
その時、インドネシアから来ていたアグスというジャーナリストは聴けば家にはジャズのレコードが4千枚くらいあるという。
熱心に各国のジャズの情報を集めている彼の様子にマレーシアとインドネシアでジャズに対する接し方が違うんだなと思ったのである。
この動画はサンディの自身の名義で活動しているトリオの動画。
”All Blues”を自由にやる。聴けば子供の頃はガムランに参加したりと打楽器に触れる機会が多いとのこと。
なるほどなと思いながら、その1年後にエバレット・ハープmeets Indonesia Jazzというコンセプトのバンドでサンディがブルーノート東京にやってきた。
その時、サンディと情報交換をしたのだが、元オランダ領だった関係もあり、オランダの音楽学校へ優秀なミュージシャンは留学をするというルートがしっかり確保されているということだった。
その時、彼の友人のギタリストの音源を聴かせてくれたのだが、そのギタープレイは日本でも人気の高いジェシ・ヴァン・ルーラーのようなのだ。そのギタリストはオランダでジェシに師事していたという。
そんな感じでけっこうトラディッショナルなジャズからコンテンポラリーなものまである、そんな印象を受けた。
インドネシアの首都ジャカルタで行なわれるジャワジャズは世界最大級のステージ数を誇り、毎年ビッグネームが顔を揃える巨大なジャズフェスとなっている。
そうしたジャズへの背景がインドネシアのジャズを育てているのかと思っていたが、それ以上に深い理由があることにこの時は気づかなかった。
いきなり呼ばれてジョグジャカルタへ
その後、間を置いて2015年の11月にいきなりインドネシアへジャズフェスを見に来ないか、とボルネオであったアグスから連絡が来た。
アグスはWarta Jazzという音楽組織を運営している。
このWarta Jazzは最初はインドネシアのジャズニュースメディアだと思っていたのだが、もっと多角的にジャズに関わることを運営していて、フェスの運営やレーベル、アーティストのプロデュース、ブッキング、宣伝、物販作成、、、、etcとジャズに関わる全てを取り仕切っていることがわかった。
大学時代にプログラミングを学んだアグスはもともと子供の頃にマイルスやコルトレーンなどを聴いてジャズに熱中していて、まだ90年代末でプリンスやパット・メセニーなど先進的なアーティストたちがウェブを立ち上げるのとほぼ同時期くらいに自らニュースメディアとしてWartaJazzを始めて、ジャズ振興を加速させ続けている。
現在、ジャカルタとジョグジャカルタにオフィスがあり、ジャワジャズ含めインドネシアジャズの仕掛人として活動しているのだった。
彼の話によると、ある程度の都市にはミュージシャンによるジャズのコミュニティが形成されていて、ジャムセッションや勉強会などをやったり、ライヴを開催したりという活動が行なわれているという。
そうしたローカルな活動をサポートするということもしており、とにかく彼のところにインドネシアのジャズ情報が出入りして動いているのだ。
またタイやインド、フィリピン、ベトナムなどのジャズ愛好家やサポーター、ミュージシャンともつながり東南アジアのジャズの動きをある程度の一体感を持って作ろうとしているのだった。
その時かくしてインドネシアの古都ジョグジャカルタへジャズフェスの取材という名目で行って見ることにしたのだった。
文・写真:鈴木りゅうた
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