ビル・フリゼールのライヴでヘラジカのぬいぐるみ増加を目撃する

久々の自己名義バンド来日

ビル・フリゼールといえば寝癖とかヘラジカだよねと本筋とは違う回答をしてしまうくらい好きなギタリスト。フォーキー路線のデカイ景色を見せてくれる曲とか、チープなB級SFみたいな感じの曲、実験的な楽曲といろいろなタイプの演奏をする。

けど結局、ビル節が効いていて、唯一無二なところが最高に格好よいのだ。いつも楽しそうにギターを弾き、最高に音楽を楽しんでる、そうした音楽への姿勢が素晴らしく、一音一音への集中力、そして速度を超える無限な世界観などなど魅力は尽きない。

先日、SXSWでビル・フリゼールのドキュメンタリーフィルムが上映されたりもしていてそれだけ興味深く思われているということでもある。もちろんそのフィルム、見てみたい。

今年の1月にサックス奏者のチャールズ・ロイドのカルテットでビル・フリゼールが来日して「なんか久々だな!観に行かなければ!」と友人のギタリストS君と見に行ったばかりだった。

それで今回の来日公演ももちろん「日程が合えば見にいこう!」と気合いを入れておりましたが、残念ながら私ひとり見に行くことになりました。

思えばビルが東京に来れば、こちらに住んで以来、必ずライブを観に行っている(気がする)

東京で最初に観たのはサム・ヤエル、ブライアン・ブレイドというトリオで、ビルは常にニコニコしつつ、ブライアンがいきなりドーーン!とやったり、サムは幾何学的なフレーズも駆使してたりしていた。全体的に情感たっぷりの叙情的世界でハートウォーミングなライヴだった。

そして、1月の来日はたぶんヴィシニウス・カントゥアリアとのデュオ以来だと思う。そうなると4年振りとかそれぐらいじゃないだろうか。エリック・ハーランド、リューベン・ロジャースにロイドとフリゼールというメンバー。

極端に奇をてらわなくても味が出てくる演奏だった。ギターが鬼のように歌う。手数は多くないが一々絶妙のタイミングで入る絶妙のヴォイシング、不思議だけど歌えそうなメロディアスなライン、そしてギタリストとしての立ち位置も理解した存在感に唸った。これはロイドもだが、ビルはエリック・ハーランドやリューベン・ロジャースのプレイを同じステージという最上の席で聴いて楽しんでいる感じでもあった。

ビル・フリゼール恐るべし。

 

それがその半年後に久々の自己名義でのライヴ。

メンバーにはドラムは最近ビルがお気に入りのルディー・ロイストン、ベースには最近ビルとのデュオでECMからライヴ盤を出したトーマス・モーガン、そしてチャーリー・へイデンの娘でヴォーカリストのペトラまで、、、、。

これは行くでしょうが。


昨年リリースの『When you wish upon the star』をタイトルに前述のメンバーで東京へやってきたビル一行。


こんな感じで宣伝動画にインタヴューも入ってアオリはもう十分。私も十分に煽られてしまった。

さらに今回の来日では楽器屋さんでトークイベントをやったりしていてそれは行きたいでしょうという感じでしたが所用で断念(ムキー!)。

ここ最近ビルはJ.W.ブラックという元フェンダーのマスタービルダーが作るギターを使用している。今回使っていたテレキャスターはピグスビーがついて、たぶんアルダーボディにローズ指板のメイプルネックという仕様だろうか。

そんなこんなで、こちらもかなり勇んでブルーノートへ行ったらなぜか正面の一番前が空いている。そこはちょうどペトラ・へイデンの正面で譜面台が無骨に立っているので真正面が死角になる。ただ音響的にはPAにあまり頼らずに音楽を楽しめ、ギターも至近距離で見れる。

こうなったらと性懲りもなくその席へ。完全に少年である。

もちろんギターキッズばりに写真を取る。

この15年くらいは写真右に見えるLINE6のディレイが必ずいる。以前はサイドテーブルなんかも用意していてその上にエフェクターを乗せていたが今回は全部足のセットだ。ギターアンプがステレオで前方右と後ろにもセットされていて常にステレオなのだが、この距離ならそれが直で味わえる。

そしていつもなぜかいるヘラジカのぬいぐるみを探すと…

ふ、増えてる!!!

ちなみにこれはビルの癒しというか、あまり気持ちが前のめりになったりしないようにという意味もあるそうです。

ライヴは最初、ビルのループ作りから始まり、そこへトーマス・モーガンが絡んで行く流れ。ルディーも絡んで数分感の音響系ジャムからペトラが”星に願いを”を唄いだすと歌に合わせて、みなが呼吸を合わせるように流れて漂う演奏に。テンポではなくて歌あわせで進行するのだがそのアンサンブルの歩調の素晴らしさ。ペトラが歌い出した瞬間思わず口から「おおー!」と小さく漏れてしまった。なんというか美し過ぎた。

アンサンブルはテンポを握るというよりも全体的に時間感覚で楽曲が進行している感じがした。そういう意味ではテンポも含めて柔軟に変えられるような、メンバー感の密度が高く、ステージ上で起こることに対するオープンマインドな精神に溢れていた。黒いグルーヴとかアメリカーナとかそんなことだけではないような心が溶け合うような時間を共有しているようだった。

トーマス・モーガンはとてもシャイな雰囲気で、演奏もすごく繊細な感覚に溢れていた。まさに音楽へ没頭していて丁寧な演奏をナードなルックスが盛上げる。

ルディ・ロイストンは点で支える立体造形のようなドラムスだった。打点の早さと音符の長さの気遣い、そしてダイナミクスへの配慮を見せる。ちょうどビルのギターも、そうしたことへのリテラシーが高いのでそうした相性が合うのだろう。そしてどことなく茶目っ気も出してくるのもよい。

ペトラ・へイデンはビルとアルバムも出したりしているので作品を聴いたことがあればあの独特な雰囲気がわかるだろう。スペースをしっかりとった歌。真直ぐ歌う感じが逆に独特で、アドリブでビルのループマシンのフレーズを追いかけたりもするのだが、とにかくメロディをしっかりと描く。太い筆でビシっと書いて綺麗に払うような歌声。

ビルのギターはアーミングはあまりなくて、ただピッキングのニュアンスのバラエティがとにかく豊富で、その場その場でどうはじくかを即断即決で繰り出している感じがする。もはや何も考えていないかもしれないが、ダイナミクスをヴォリュームノブでフレーズ内で微調整し、ほぼソロではシングルノートで歌う。

途中ソロで大きく弾けてニョロニョロした80年代〜90年代とかFloreToneとかで出してたような音も出していたが、計算外ぽいフレーズもループマシンに入れて美しく変換していたりした。知り合いのドラマーは「ビルのギターはパーカッションみたいですごく面白い」と言っていたが1時間半じっくり見るとすごくわかる発言だった。

もはや美音製造機だった。終始ニコニコしていてピースフルな雰囲気は昔のブート映像で見るやばい薬でも作ってそうな変態科学者という感じがない。

ただ、それでも昔の変態な感じがじわっと出ていて危険な匂いは形を変えて溢れているようにも思えた。ビルはしゃべり声もちょっと高いのだが、マッドサイエンティストの風情がまだ残っていて、ステージで起こるすべての物語を受け入れて楽しみ、利用しているのだろう。

ライヴ終了後、向かいに座った知らない年配の男性となぜか目配せしてニヤリとして席をたった。なぜか気分はハッピーエンドのハードボイルド映画を見終わった感覚だった。

時間と金が許すのなら他のセットも見たいところだが、それは次回はどんな演奏を聴かせてくれるのか、今から楽しみに待つとしよう

なんて殊勝なことを考えていたが、結局別日に観に行ったのである。

基本、1ステージ目はゆったりとフォーキージャジーというか静謐さを感じさせる内容だった。Alfieなんかもやってペトラを休ませ3人でというシーンもあり、よりスペースを感じさせる。

最終日の2ステージ目に行くと、こちらはゴッドファーザー愛のテーマをやったりと映画音楽主体。楽しくエンタメ感をビル・フリゼールの世界感で見せる。割と激しく攻める場面もあった。

エンタメと言ってもそこはフリゼールワールド。なんかちょっと怖いホラー映画の遊園地みたいな、これに乗ったら帰れないかもなという怖さと、なんだか楽しい感じ。

子供の頃にひたすら楽しいんだけど、夕方、帰り道が急に恐く感じるような、夕方のノスタルジーとまだまだいけるよとでもいうような音楽の可能性。現在の楽しい時間と未来への漠然とした恐怖、それは希望も組み込んだ恐怖なのかもしれない。

最終日はペトラに言われてビルがギターピックを消すマジックを披露した。

それぐらいビルはご機嫌だった。そして観にきた全員もご機嫌だっただろう。

(文・写真:鈴木りゅうた)

 

 

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