Portrait of Bill Frisell

2017年のフェスで上映されてた噂の映像

昨年のSXSWで上映されて、初めて公開されて一部話題になった『Portrait of Bill Frisell』。
オーストラリア人の監督であるエマ・フランツ(Emma Franz)が数年に渡り、ビル・フリゼールに密着し、関係者にインタヴューを取り、完成させたドキュメンタリー映画だ。

日本では、ほぼ話題になっていないのだが、これは2つの側面でどうしても見たい映像作品だった。

ビル・フリゼールの実態に密着する

ビル・フリゼールはいくつかの映像作品がある。
ニューヨークで長年活躍してきたギタリスト井上智さんが監修に入った教則ビデオ。

ソロギターを教会で奏でる『SOLO』。

アメリカの写真館のおやっさんで、死後、その写真が評価されたディスファーマー。そのディスファーマーに影響を受けたプロジェクトの『Disfarmer project』。

漫画家でありジム・ウードリングの映像音楽作品、バスター・キートンのプロジェクトなどなど。
結構、映像作品に関わっている。

しかし、自身のドキュメンタリーというのはなく、しかも、共演してきた顔ぶれを見ても一貫性がない。
幅広いというのではない。
むしろ“一貫性がない”というのが正しい表現のような気がする。
毎回、確かに彼のサウンドであり、共演する人々は、またそれぞれの音を持っている人たちということは共通しているかもしれない。

そして、常に思うのは嬉々として音楽を楽しんでいるような感じがするということ。
たとえば彼のキャリアの前半に大きく関わっているジョン・ゾーンとのネイキッドシティなんかは、音楽の方向性は完全にビルのものではなくてジョン・ゾーンから出てきたものだろう。
暴力的な方向性は、ビルの中にある感じがしない。ビルはバイオレンスというよりも奇妙でホラーな感じがする。
ただジョン・ゾーン作品でも、出てくる音はビルのサウンドを貫かれており、それがまた求められている。

現在、自身の作品ではよりフォーキーでゆったりした世界観が描かれたものがほとんどだと思う。よくアメリカーナ的などと言われるやつだ。おそらく2000年代以降のビル作品だけを知る世代はそういうイメージだろう。

ただ、どうしても本当にやってることはそうした過去の踏襲には見えない感じがしている。自分の観てきた景色や記憶などに影響されている結果なのではないか。

未だに自分が思うのは”このあとどうなっちゃうんだろ?”という隠されたスリルと純粋に好奇心で動かされているような独特の感覚が魅力だと思う。

次々と出てくる豪華な証言者たち

2017年の年末に映像作品の販売がビル・フリゼールのメーリングリストでアナウンスされたので早速、先行予約を行なった。

それでここから購入する

Bill Frisell film

届いたのは1月末。

さて、中身はまじもののドキュメンタリーで、ビルへの密着はもちろん様々な人からのコメントが集まっている。

故人では、まるでギャングのボスみたいなポール・モチアンや西部劇の殺し屋みたいなジョン・アバークロンビー、校長先生みたいなジム・ホールなどなど。ジム・ホールのレッスンに初めて行く時をビルが思い出しながら語るところがあり、「すごくナーバスになってジムのアパートの近くをうろうろしたよ」と言っていてすごく印象的だった。

Bill Frisell, A Portrait from Emma Franz on Vimeo.

他にもボニー・レイット、ポール・サイモン、ロン・カーター、ジョー・ロバーノ、ジャック・デジョネット、ネルス・クライン、ジェイソン・モランなどなど。

朋友ジョーイ・バロンがとても楽しそうにいろんなことを話すのも二人の関係が見えて素敵だった。ネイキッドシティで頭を振り乱して弾いてたりしてジョーイが「あまりスタイルじゃないけど、そういうのが楽しい」的なことも言っていた。

オーケストラとの共演シーンでのリハだったり、他のミュージシャンに対するリスペクトがフリゼールは半端じゃなかった。あとしまい込んでいるギターをたくさん引張り出して、ニヤニヤしていてすごく和む。

「ひたすらメロディを愛して、引き続けているといろんなものが見えてくる」というのはビル・フリゼールの音楽の根幹を成している感じがした。

それで、これは折角だからと数人の友人と一緒に大画面で改めて鑑賞もし、様々な感想を得た。
「圧倒的な無邪気さ。子供のような好奇心が見せるある意味での残虐さとか、純粋な美意識」だったり、「ギター愛」だったりはとても印象に残る。

ソロギター作品とのつながり

このドキュメンタリーを見て、3月にリリースされた『Music IS』を聴くといろいろと腑に落ちることがある。

とにかくメロディへのフォーカスというのをこの人は続けている。それはたぶんずっと変わっていない。2013年にジョン・ゾーンのプロデュースでリリースしたソロギター作品『Silent Comedy』が無声コメディ映画の架空のサントラの風情なら、こちらはもっとギターの演奏ということにフォーカスした感じ。ただひたすらギターをとっかえひっかえして、「このギターのここの部分を出したい。このメロディ、いいよね〜」という感じで楽しんでいる。

そう、この人の魅力は、無邪気に音楽を、ギターを楽しんでいるってところなんだと思う。
そうしたセンスはもはや新しいとか古いとかそういうことは超越していて、ビューンと耳に届くのだろう。

これだけ様々な情報が氾濫し、アーカイブが山のように積み上がると時代性とか時間軸の意味がかなり変わってきている。
アイデアの出てきたスピードやアイデンティティはあまり意味がなくなってきた。
むしろ求められるのは拡散する速度だったり、声の大きさだったりする。もうそういう意味では盗用してもされてもそれほどとがめられないというか。
ただ、圧倒的な個性の前にはそうしたものも通用しない。そんな圧倒的な存在感を持つ創作物を彼は生み出している。

おそらく、そうした社会的なこともあまり関係なく、自分の音楽をどう楽しむのかに集中している。周りのスタッフについても映画では出てくるが、そうしたスタッフとの信頼関係の強さなども彼の音楽を形作っている。

出てくる人が一様に楽しそうにビル・フリゼールという一人のギタリストについて語る姿を見ても、そうした音楽ごと愛されるキャラクターというのがある。決して派手な男ではない。ナイーブで優しく、好奇心に溢れている。そうしたものが丸ごといろいろなところに発露できるのか、というところが音楽の魅力につながっているのだろう。

このドキュメンタリーについて、エマ・フランツは現在、日本の放送局などとも上映について相談をしているという。実際にどうなるのかはわからないが、音楽をやる人間はこのフィルムを見ると思うところがあるのではないだろうか。

ぜひ見て欲しい作品だ。

 

(文:鈴木りゅうた)

 

 

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