2022年と音楽のこれから

さて、最近はやっとライヴ事情も回復傾向。あくまで回復傾向であり、失ったものは戻ってきません。

この空白の2年以上の期間。自分自身もあまり発信する気概もなく、世の中の流れに身を委ねていた時期としてきました。

ここまでのライヴ開催者のたくさんの声を聞くたびにとなんとも言えない暗い気持ちになりました。また、自分自身もかなり仕事のスタイルが変化してきており、少し戸惑うこともあります。その上、コロナについての対策について誰かがSNSで書けば必ず賛否両論になります。

そして、その議論というか意見の投げ合いが結局どうなるかといえば、それぞれの考えを強化し、より相入れなくなるだけのような状況を何度も見てきました。

SNSは単純に発信ツールであり、”自分の求める情報を得るだけのもの”以上でも以下でもないなと再認識。そこは議論の場ではなく、意見を確認するだけの場。「あの人はそういう考え方ね」「わたしはそう思うな」くらいで受け止める、そうした訓練が私たちにはまだまだ必要です。同調させようと思わなくていいし、無理に同調しなくてもいい。ただ、言葉の力は強いのでそれは起きてしまう。だからこそ距離感を持つ訓練は必要かもしれない。

一方でそれまでは月に何本もライブを観に行っていたのに、その習慣が崩れてしまった自分がいます。出かけるための理由づけが必要になってくるなんて思いもしませんでした。自分のプライベートでの時間配分が変わったこともありますが、それ以上にこの変化はあまりポジティブに受け止めることができていません。

その上、、回復傾向の今、円安が強まってるから来日ミュージシャンもあんまり見れなくなってしまうのかなとか、物価高騰はほんとうにしんどいものがあります。

盛んになったライブ配信

この数年でライヴ配信がとても盛んになりました。一般化してきたと言っていいでしょう。実際に自分も国内外のライヴ配信をみる機会も増えましたし。

場所を気にしないで体験できるというのはとても快適です。ある部分ではライヴ会場に行くよりも少し退いて冷静に聞ける部分もあります。自分としてはライヴの代替えというよりも新しい音楽との接続チャネルができたという感覚で捉えています。

たとえばライヴをテレビで見ている感覚です。それはビデオやDVDでもいいかもしれません。

そしてそれはやはり、同じ空間で発信者と空間を共有している感覚とはかなり違います。

ライヴとそうしたライブ映像アーカイブの中間にある存在として位置付けられ、音楽を発信する側の新たな場に育っていけばいいなと思います。

そうした意味で、ライヴの代替えではなく、何か新たなチャネルとしてのライヴ配信を模索した今沢カゲロウさんの取り組みには可能性を感じました。今後、よりクリエイティブな場としてライブとイコールではない配信みたいなものに期待したいなと思います。

ポストプロダクションが近くにある

音楽の中身として感じているのはより、音楽制作がパーソナルなものになってきているということです。自己完結型のものが多く、またそれゆえの力強さもあります。複数人のユニットであってもそのユニットとしての自己完結度が深まっている。もはや音楽要素それぞれのルーツ以上にその個人それぞれの個性に向き合うべき時代になってきたように感じます。

精神的な意味で世の中全体がそうかといえば全くもってまだまだで、この数年も変わらず人種問題や経済格差などは激しく、根強い。しかし、音楽家の多くはそうしたものを乗り越えようという気概に溢れたものが多く登場してきました。

エンターテイメントは思想信条とは離れていたほうがいいなんていう話はよくでますが、もはやそうした話は時代遅れの論議。音楽はより脳内開示的になってきているように見えます。

その結果として面白いものがけっこうあったように思います。たとえばロンドンのジャズに関連したミュージシャンたちが大きく注目をあつめていたけれど、そうした脳内開示の箱庭的世界観が面白いと感じました。チャバカ・ハッチングスやヌバイヤ・ガルシアなど、しっかりと自分の意思と音楽的な面白さを追求したところにヒットの要因があるように思えてなりません。

ポストプロダクションでいえば、多くの打楽器奏者の作品も面白いものが多いなと思います。マカヤ・マクレイヴンやカッサ・オーバーオール、カリーム・レギンス、ネイト・スミス、アントニオ・サンチェス、、、、などなど、リアルタイムの瞬発力とポストプロダクションによるサウンドメイクが同じ場所にあり、全体の音楽を形づくっています。

一方で、エディットされない音楽も録音技術の進歩で面白いものがあります。マイクを録音対象として狙う楽器からあえて離し、空気感ごと録音していくもの。これもまた、エンジニアリングの妙味で、演奏者の技量や醸し出す雰囲気に、より肉薄しようというもののように思います。

サブスクとテクノロジー

さてもう一つどうなるのか動向が見えないものがあります。それは再生環境のことです。

もはやサブスクは当たり前になってきました。spotify,apple music, amazon music,その他。これらがメインのリスニング媒体だという人も少なくないと思います。というより完全に多数派になったと思います。でも、これらは、ただアーティスト名が表示されているだけで終わっています。その周りにいる誰かが見えてきません。

もっとも、この点を意識するというのは私自身がブックレットをチェックする派ということ、また、仕事柄というのもあると思います。

しかし、これだけポストプロダクション、そしてポップスにおいてはアレンジが重要な要素を握っている(とくに日本のポップス)状況になっているにも関わらず、そこがわからないのは片手落ちな気がしてならないのです。

今は1人で音楽を作って、録音し、リリースまでできるようになりました。それも素晴らしいことですが、でも音楽には人がたくさん関わっているというところも面白さの要素です。

もう一つは、録音の質をあげても、配信時にはダウンサイズされたものを聴く環境になっているという不思議。とはいえ、今ハードを買ってくださいという感じでもなくなっています。以前ほどハイレゾ云々ということもこの数年、話題として大きく聴かなくなりました。

こうしたクオリティ追求のゴールが見えないということに少し違和感を感じています。

2023以降順次片付いていくのか、それとも放置されたままでいくのか、注目しています。

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