「世の中いろいろあるけれど自分のやることが変わらなければそれでいい」。
柴山哲郎は確かな技術を持ちながらも太い個性とサウンド、独特なキャラクターを持つギタリストだ。その軸の強さは彼の出す音の説得力を高める。以前はスタジオミュージシャンとして活発に活動していた。しかし、突如ギターを辞めていた時期がある。
「ギターを弾くのが楽しくなくなったんですよ。その時は仕事でギターを弾くことについてもあまり理解してなかった。今思えば仕事に対する向き合い方を変えればよかったんでしょうね。”これは仕事だから”ということと”自分が楽しい”をごちゃまぜにしてた。中には根っからギターを弾くのが好きで、弾いていければオッケーと言う人もいる。でも僕はそうじゃなかったんです」と当時を振返る。
ギターを弾くことに疑問を持ち別の道へ
バックバンドなどの仕事をこなす職業ギタリストを目指すプレイヤーは今も変わらず多い。そんな中を渡り歩いていた柴山は自分の表現と仕事で要求される演奏の間で揺れ続けたという。「しかも結構シビアな世界だし、もちろん間違うとかは許されない。今も13年前と同じで仕事でギターを弾くことは争奪戦だから厳しいでしょうね。他のギタリストもみんな、めちゃめちゃうまいし。結局、自分はあんまりそれは向いてないかなと引いたんです。それが確か2007年位かな。その頃はソウシ(内田壮志:Groovelineなどで活動したベーシスト。現在もミュージシャンとして活動中)とかとSH☆Tというバンドをやってて。僕が全部、曲を作ってました。それでソウシは面白いアレンジしてくるしそのバンドがすごく面白かった。けど10ヶ月位で終わっちゃって。実際、長く人が集まってバンドを続けるのはすごく大変なことですよね。20年も同じメンバーでやってる人たちとか本当にすごいことだと思います」。
ギターを辞めて一切弾かなくなったという彼は「3時半起きで夫婦でパン屋をやってました。その後、出身地の奈良に戻っていた時期もあります。今はパン屋でありながら音楽もやってます。まぁこの辺は何が正解かよくわかんないです」と語る柴山。実は彼が江戸川区で営むパン屋は地元民に愛される人気のパン屋。立木観音という名跡の建物の一部がパン屋、そして一部は柴山の楽器練習所となっている。
どこか妥協出来ない姿勢は何かに集中することに向かわせる。そうした突き詰める姿勢は何かしら創作物に現れる。しかし音楽は常にどこかに引っ掛かっていたという。
ウードへ集中すべく奈良へ帰郷
そんな中で出会ったのが中近東の弦楽器ウードだった。
「何かしらやりたかったんでしょうね。13年位前にギターを止めて、5年ぐらい何も弾いてなかったんです。その時はパン屋だけをやってました。でもどこかに音楽が引っかかってるんですよね。それでなんか無理矢理”ウードだ!”みたいな」。
結局徹底的にウードにのめり込む。「それでめちゃめちゃ無理矢理練習して。“これで生活していかなきゃ”とか思って。追い詰めてくみたいなのはいいところもあるんですけどそういうのもマイナスだった。でもバランスが必要ですよね。結局トルコまで行ってウードを本格的にやりはじめました。その時はパン屋を休業して関西に戻りました。ウードを教えたりもしていて、生徒もいました」。
その活動中、ウードでの作品もリリースしている。始めに説明しておくとウードは通常はクラシックバイオリンのように幼少期から初めてやっとモノになるような難易度の高い楽器だ。それが数年で自身の表現を目指す領域まで来ているのは脅威的なことだ。上と比べればキリがない話だが、リリースされたアルバム『ドウシュ』は鬼気迫る迫力と情熱がそこに込められている。柴山作曲の“石舞台”は日本人が作ったウード曲として高い完成度を誇っている。これは記録的なことなのではないだろうか。シアトリカルな背景に様々な思いが渦巻いている。
「でもウードは修理できる人もいないのでなかなか大変です。僕が今持ってるウードは奈良に戻ってた時に弾きすぎて指板が削れてて弦がビビるんですよね。本当は直さなきゃいけないんですけど。だから最近はゴダンのエレキウードばかり弾いてますよ。2011年にトルコに行って、それで奈良でやるんだと引っ越して。その頃は原発の影響とかもいろいろ言われててそれで“奈良に行きたい”と実家に帰った」。
「でもマイナス方向で何かするのはあんまりよくないですね。全然うまくいかなくて。結局、2014年に体を壊してあまり弾かなくなりました。ウードはギターをやってた人は入り込みやすいかなと思うんですけど音楽の質感としても受け入れにくいと言うか、暗いじゃないですか。トルコのウードは比較的クラシック寄りで綺麗で入りやすい。でもそれだけをやるのはちょっと無理がありましたよね。仕事もとってきたりとかして、めちゃめちゃ自分で頑張ってましたけど、結局、弾けなくなっちゃった。それでそこから1年半ぐらい何も弾いてなくてこっちに帰って。それが3年前ぐらいですかね、“やっぱりギター弾こう”って。それでさかいゆうが呼んでくれて一緒にやったりとかして。奈良から戻ってきてからはパン屋とともに音楽もやってます」。
両立の道を模索する姿勢はまるで21世紀のブルースマン
その後、ギタリストとしての活動を再開。気の置けないドラマーやベーシストとトリオで思い切りギターを聴かせるライヴを行なっている。エレクトリックギターミュージックをチューブアンプのきらめきのあるサウンドで野太く、時に繊細に鳴らすパフォーマンスは柴山の真骨頂だ。思わずギターを弾いてみたくなる気持ちのいいリフ。そしてその活動を経て自分自身の存在を濃く打ち出したのが2018年秋にリリースした『エレクトリック』だ。
メンバーはトリオではほぼレギュラーと言っていいベーシスト湯浅崇と現在はドイツ在住のドラマー中村亮で録音した。「僕もメンバーを変える方が新鮮だなとか思っちゃうタイプなんで(笑)。そういうのはジャズもやってたからかもしれませんね。セッション的なノリもちょっとあったし。でも言葉を飲み込むまで、やっぱりそれなりに時間がかかるんですよ。亮と崇とは付き合いも長いのでお互いの距離感は近い感じ。亮はバークリーで、崇は最初、JuJuの仕事で一緒だった。それでも、このメンバーで一緒にやり始めたのはこの3〜4年ですね。亮はお店まで遊びに来てくれて。彼の部屋にボストン時代は住んでたこともあるし何か縁があるんじゃないですかね、彼とは。崇は自分のカラーを出すけれど、決してメインより前には出ない絶妙なベーシスト」。
強烈なリフ、力強く放たれるようなソロ、そして彼らしいユニークな情景。
決して薄まらない原液のような音楽を提示した。“自分はこうするよ”と静かにしかし力強く宣言するようでもある。
さてこの話は柴山哲郎の音楽的ルーツから広がり、70年代半ば生まれ同士で掘り下げるめくるめくギター談義に続くのである。お楽しみに。
(取材・文・写真/鈴木りゅうた)
コメントを残す