ギタリスト柴山哲郎が目指す”脱力”とは-“Aru”インタヴュー

いつも「楽しみを探すこと」

コロナウイルス騒ぎで緊急事態宣言が出た。柴山哲郎はそんな最中にミニアルバムをリリースした。タイトルは新たな自身のシグネーチャーギターと同じ名前である「ARU」。哲学的なテーマだが、彼らしいと言えるタイトルが付けられた。現在は営業を戻しているパン屋さんも休業。いつも適当にいろんな話をしているので、今更襟を正して話をする関係でもないのだが、お互いの生存確認も含めて、オンラインで会話した記録をもとに構成する。

禅問答的でもあり、ストレートな直感に従うような作品、そしてギターは彼の人柄の一部がよく現れている。ここではアルバムの話、ギターの話、そして新たなこの時代への対応の話などを中心に、柴山哲郎という希代のギタリストの存在を知っていただきつつ、この時代に何か感じるものがあれば幸いです。

自分の気持ち、意思が重要

「これは”存在する””ある”という意味。実際のところ”ある”という事について、自分自身もよく理解できているかはわからない。“今日は~をしたい”という自分の意思、自分の気持ちを大事にできればいいと思うんですよ。

“今日はこの音を弾きたい”とか。そういうことがすごく大事じゃないですか。ギターを作ってくれた西垣くんと2人で作る前にこのギターの名前を考えた」


曲はあくまで音優先。何かからインスピレーションがあるということもないという。ストレートに音楽と、ギターと繋がって生まれてくる。「曲名にあまりなにかを込めない」と前回も話していた。

「単純に音だけ。情景は一切浮かばない。バラード系は勝手に出てくる音を探っていく。そこもあまり考えない。ちょっとファンキーなやつなんかはギターを弾きながらリフ先行で。まず音楽ありきって感じ。ギターしかできないからということもあるかもしれないけど。もし他の楽器ができるとそっちも目立つようになるのかもね。ギター先行で作ってる部分がすごくあるかな」

といいつつ、曲名をつける言語センスが面白い。インストの曲だが、勝手に聞く側はいろんなことを思い浮かべることができる。レコーディングは2019年の9月に終えた。ベースは湯浅崇、ドラムは鈴木郁という柴山のライヴでは欠かせない気の置けないメンバー。

「今回は収録した楽曲も結構気に入ってるし、自分でもよく聞くアルバムになってます。レコーディングといっても、いつも通りライブレコーディング。”せーの”で録ってクリックもなし。みんなは技量があるから。時間的には8時間くらいで終わりました」

ミックスはギターをガンと出してとお願いした

ミックスはコロナ禍で立ち会えなかったという。

「今回ミックスは伊藤ハルクさんにお願いしてます。遠隔でお願いしたので、過程の中ではなかなかいろいろ伝えるのが難しいところもあったけど、ギターをガンと出してとお願いして。それも”でもデカすぎずに”と。

<マムシ>だけはソロで、ギター2本使ってます。最初はフレットレスで弾いて、途中からフレッティドに変えました。そこだけ別で録ってる。切り替えするのは録音中にはなかなか難しいから。ライブだったら、あまり気にせず、やれるようにやるけど、録音だと“こういう風にしたい!”と思ったことをやろうとするから。それ以外は基本的に一発録り。ギターはフレットレスとストラトと、あとシンラインを使いましたね。ミュージックビデオも先に撮ってあって」。

個人的には『石舞台』はウードによるアルバムに収録されているバージョンとも聴き比べもらいたい。

その話をすると「ウードとギターで結構違いますよね。でも自分ではマイルドな音楽をやってるというか、歌ものをインストにしている感覚がある。もし歌えるんだったら歌いたいし。あんまりインストのややこしいメロディーの曲は自分の曲の中にはないんですよね」

できる限り力を抜きたい。何かをやろうとすると力が入るから

この作品に気負うところはあまりないという。

「基本的には変わらず作品として出した。でも、この作品を“世に知らしめよう”とかそうゆう野望があまりない」という。彼が求めることはもっとシンプルにギターを楽しむ、人生を楽しむということ。“ある”がままということ。

「できる限り力を抜いていきたい。どうしても何かをやろうと思うと力が入っちゃうから。やっぱりライブ前なんかもつい力が入っちゃう。できる限り余計な事は考えたくない。考えずにやればいいんだけどそれが難しい。“今日はいいライヴにしよう”とかも多分考える必要は無い。実際には集客の事とか、いろいろと考えなきゃいけないこととかもあるんですよね。そういうことがいろいろ邪念になっちゃう。

みんなが楽しんでるか考える前に自分が楽しまないと。そうじゃなきゃほんとに意味がない。でもやっぱり世の中は資本主義社会だから良いものを見せてさらにステータスを上げていく思考回路になってるんだよね。自分もそれをすごく植え付けられてる。そういうことなしにやりたい気持ちがありますね」

我々は何事も自分の行動に対しシンプルに楽しめなくなっている。ある種、打算的なところが誰でもヒョンな場面で顔を出すことがある。確かに本来はもっとシンプルでいいはず。

「すごく難しいけど力まず脱力してやるのがいいですよね。“マムシ”のミュージックビデオの途中にインタビューが挟まってるんですよ。あまり何言ってるか聞こえないかも知れないけど(笑)。”ギターは一生続けていくと思うけど、そこにあまり力まなくてもいいと思ってる”と話してるんですよ。そういうスタンスでいようと思って」

個性派と称されるが正統派のギター

この2年、55Barにマイク・スターンを見に行くつもりで、渋谷で柴山哲郎のライブを観てきた。そんな感じで気軽に見に行っているが、柴山は毎回、とにかく盛上げる。「別にやんなくてもいいけどなんかやっちゃう」というサービス精神は彼本来のものなのだろう。思わず巻き込まれてこちらも盛り上がるのだ。

そして、そのギター演奏。よく彼の演奏に対し、“変態的、個性派”とキャッチコピーが付けられる。しかし、実際にはとてもストレートで正統派だ。それを伝えると「そうなんですよ。全然、変態とかじゃないんですよね。個性派ともよく言われるけど、結局自分がにじみ出ている結果で変態と思う人もいるのかもしれない。意外に直球勝負。あまり奇をてらったようなことをしようとはしてない」

それでも“同じようなギタリストは知らない”

パン屋をやりながらギターを弾いてる人はおらず、また二足のわらじを公言しながらこのレベルで演奏するギタリストもあまり知らない。そういうところからもそんなイメージがあるのかも知れない。「そういう人に会った事はないですね。まあ、世の中、変なこだわりがいろいろあるじゃないですか。一つの職業に一筋でみたいな。そこで結果的に平均点出してればいいみたいなところがある。実際に俺もそうさせられてきた側だし。そんなに反逆児でもないから」

ミーターズのギターリフは力強い

『ARU』もまたリフが印象的な作品だ。前回に続いてギターリフについても訊いてみると「ファンクだとミーターズとかが好きだったりする。泥臭いというか、リズムに根が張ってる。ぬかるみを歩いてるような感じがあって、しかも力強い。子供と聞いてたら子供も踊りだすし。あとファンクというだけじゃなくてギターミュージックでもあるし。まあ最近、久々に聴いてただけなんだけど(笑)」と力を抜きながらも音楽へのアンテナは張っている。

いつも会話の中でギターの話になると次々と名前が並ぶが意外にジミ・ヘンドリックスは出てこない。興味があって尋ねると「好きだけどそこまでハマってない。アルバムでは“Blues”がすごい泥臭くで好きだった。これは音もすごい良くて」

グランジも通っていないというしジミヘン的なある種の汚さは彼のギターにはない。「そう。やっぱりスティーヴィー・レイ・ヴォーンとか、意外にそこをきれいに行きたいタイプ。フリーで弾いてるアバンギャルドのギタリストとかあんまり好きじゃない。決して嫌いなわけじゃないけど」

なんでも頑なでいる必要はない

おもしろそうならやるというスタンス。あまり一つのことにこだわっていても結果は多くの場合、伴わない可能性もある。彼自身は実はけっこうな仕事人であると思っているがいろいろな変遷を経て、彼自身もそんな境地にいる。

「この前“ずっと真夜中でいいのに”というYouTubeで売れてる人とデュオでやったんです。俺はそれまで全然知らなくて。やってみたらすごい面白かった。アコースティックギターで弾いてるけど“これ、別に俺じゃなくてもいいんじゃない?”とも思ったけど(笑)。

でも、そういうことじゃなくて、何でもかたくなじゃなくてもいいんじゃないかなと思って。昔は俺も結構そうだったけど、そこは力を抜いていけばいい。別にまた休んでもいいし、休まなくてもいい。ライブもやらなくてもいいし、やってもいい。それぐらいでいいと思ってる。みんなやってるから自分もやらなきゃというものでもないし」

もっと自分のために音楽をやりたい

こんな姿勢には、自分の意思ではどうにもならない、今のような状況に寄り添うためのヒントがあるような気もする。「音楽やってる人でもしんどそうな人多いですよ。やっぱり、それ本当にやりたいのかなとか思っちゃうことあるし。やりたいことは多分作るものじゃなくて、そもそも”ある”ものなんだよね。それは考えても出てこないから、すでにあるものを感じられるかどうか」

表現はもっと自分本位で発信したほうが確かに力強い。ひたすら世間へ合わせにいってもずれていけば苦しくなる。

「今、というか昔からなんでしょうが、“人のために”とか“他人の幸せのため”とかっていう言葉をよく耳にします。非常に耳障りは良いのかもしれないけど、なんか引っ掛かってて。これは仕事をする上で、お金をもらう上ではひょっとしたら大事なことかもしれません。でも好きなことをやってる中では、他人のためよりまず自分のためだと思ってて。まだまだ僕もそういう呪縛から解けてないので、早く自分の為だけに音楽やれるようになりたいです(笑)」

「みんな好きなことをやればいい」

脱力し、気負わず自分のためにやること、実は簡単ではない。緊急事態宣言が出てからの状況を尋ねると

「家族以外とあんまり話さなかったですね。それでもたまに郁君と電話で話たりとかはしました。僕の周りはまだそんなに困窮してる感じではなかったし。

期間中は通販でパンの販売を始めたから、それと一緒にCDが欲しい人に販売してました。大体95%位の人がCD付きで注文してくれました。それでもライブをやった時と比べると全然枚数も出てない。やっぱりライブやらないとCDはなかなか売れないかな。そういうこともいろいろ変わっていくんだと思いますけどね。みんな好きなことやればいいと思う。より一層日々を楽しめればいいと考えてますね」

巣篭もり前から取り組んでいた動画制作

また、動画は以前から気軽に撮ってあげていたが、コラボなども珍しくあげていた。

「アキラ(中村亮:ドラム)とも撮ってあげたし。ミュージシャンはみんな暇だと思うので撮影のスキルがアップしてる感じありますよね。御木くんからも“一緒にやりましょう”と動画がきたり。それで一発でさっと撮ったり。

実は彼とはまだ会ったことがない(笑)。ライブを一緒にやる予定をしていたけど、できなくなっちゃったし。こういうのが気軽にどんどんアップされていて音楽好きの人はいいかもね。御木君とのやつは他の人もやってたけど、おしゃれな感じに仕上げるのは他の人がやるから、自分は違う感じでウードでやった」

実はこうした動画を自分で公開するということについては先駆け的な存在。DVD作品を自主で販売してもいる。

「自分は撮るのは早くて一瞬で終わる。さっと決めちゃうから編集も結構早いんだけど、こだわってる人も多いからやそれと比べるとやっぱり荒いかな。そこはプロじゃないからね。とはいえ誰も気づいてくれてないけど、俺は前からやってたし(笑)」

ギタリストとしていい音を出すことを目指す

アンプ派だが最近はラインでの録音もしているという。

「練習はどうやっても苦手というか…曲を録音する時が1番集中できる。曲ありきのタイプなのかな。もうゴリゴリ弾くとかはそういう人に任せて、自分は“いい曲を書く”とか、“良い音を出す”とかそっちですよね。今は薄い音が主流だからそういうところに乗らないで。アンプ派ですが、意外にラインの音も使ってみるといい音だった(笑)。簡単に録音するならラインでも全然いいと思う。ライブではやっぱり嫌だけど。無理に反逆しないで受け入れていくことも必要なのかもしれない」

音楽ではハートを出せるかが一番大事

そのうえで自分の表現が出てくるかどうかが重要だろう。結局のところ、彼が個性派とよばれるのはその“個”がしっかりと現れてくるからなのだろう。

「やっぱりハートの部分が1番大事だから。ハートはなかなか剝きだしにできないし。だから鈴木薫とかいいじゃないですか。やっぱりプレーヤーとしてもハートが出てくる人が好き。もちろん最低限は練習しなきゃだめだけど、ハートが出てくるそれ以上の事は無い。みんながハートを出してくれればうまくいく。そのための表現をするための技術であって、速く弾くとか技術とかではないというか。とはいえ、結局このハートを出すってことが1番難しかったりするんですけどね」

テクニカルであることはフィジカル的なことではなく表現の深度についての言葉ではないかという。そのうえで味が出ることが重要なのだろう。

「実際のところ、ビル・フリゼールなんかは全然速く弾かないけど、すごくテクニカルに思えるし、そういうことなんですよね。あとなんか知らないけど毎回話題に出るマイク・スターンなんかはちょっとダサイじゃないですか。スティーブ・モーズもそうだし、俺はやっぱダサイところがある人が好きかな。ボストンにデューク・レビンというギタリストがいて、アルバムにも少しダサイ曲とか入ってるんですよ。これが聞いてるうちに病みつきになっていく。

完璧な自分を見せたい人がやっぱり多いじゃないですか。それはわかる。でも、その上でダサさが隠そうとしても出ちゃってる人。そこにたどり着くために技術を磨くということなのかもしれない。それにはまず自分が何を弾きたいのかを自分自身に問いかける必要もあるかも。昔はそれを無視してたこともあった。でも、やっぱりそれを無視してると見失いますよね。

そういう意味ではウードを最初からすごく好きで始めたわけではなかったけど、最近はすごく味わえるんですよ。音を楽しむ余裕がちょっと出てきたのかもしれない。体の調子を崩して休んでいなければ同じ調子でずっとやっていて気づかなかったかもしれなかったし」。

音楽に限らず、こうしたことはすべてのことにあてはまるだろう。まさに”すでに『ARU』もの”が見えるのか、気づけるのかが問われているのかもしれない。

<インタヴュー・文/鈴木りゅうた>

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