鮮烈!!! ジェラルド・クレイトン・カルテット!

ドレッドロックのピアニスト

ジェラルド・クレイトンを最初に知ったのはたぶんロイ・ハーグローブとの演奏だと思う。この1984年生まれのピアニストがロイの2008年のアルバム『EARFOOD』でピアノを弾いていた。

彼は父親がコントラバス奏者であり、マンハッタン音楽院を経てジャズマンが名を馳せる登竜門セロニアス・モンク・インスティチュート・オブ・ジャズ・コンペティションのピアノ部門2006年に2位となっている。

ソロ作品はロイの『EARFOOD』の翌年に『Two Shade』を発表している。

その後は名ギタリストのピーター・バーンスタインダイアン・リーヴス、渡辺貞夫さんにもキャッチアップされ、今勢いのある若手ピアニストの一人といえるだろう。

この2010年代にドレッドヘアーを後ろに結び、スタイリッシュなルックスとジャズのド真ん中をしっかり抑えつつ、振り幅にも対応する音楽性の幅、そして時に鋭利な感性を見せる演奏はyoutube時代にはより映えるだろうことは予想に難くない。


4作目のリーダー作をリリース

この春に『トリビュータリー・テイルス』というアルバムをリリースしている。これが4作目なのだが2管での編成を主体にスポークンワード、複数のパーカッショニストも曲ごとに起用している。

そこそこバラエティを持ちつつも現在のジャズの解釈が多様化した中で考えれば、真ん中にいると言っていい内容の作品だ。

これを聴いて思ったのは「やりたいことをやったな」ということ。特に新しいとか古いとかは考えていない感覚。

もちろん新しいことをやろうということで取組まれるものはとても魅力的でその冒険心に惹かれる。しかし、ここで求めたものはそういうことではなく、ジェラルド自身の音楽家としての、ピアニストとしての強度測定をしているというか、とにかく良い演奏、いい楽曲を自分の内面から掘り下げた感覚によりそって展開した音楽という印象だった。

参加メンバーはニー・ボディの活動でしられるベン・ウェンデルがテナーサックス。
現在はフランスに在住し、自らでパット・メセニーをブッキングしてアルバム『シフト』をリリースするなど精力的かつインテリジェンス溢れるローガン・リチャードソン、
ファッショナブルな装いとクレバーなベースで見せるジョー・サンダース、ドラムにはジャスティン・ブラウンなど同世代の雄が募り、エネルギッシュな演奏と現代的なアンサンブル、かっこいいテーマなどなど飽きのこない作品でこの2ヶ月の愛聴盤となっていた。

2年前にローガンにインタヴューをしたが「この10年、自分も含めた新世代の時代に移ってきている」と発言していたがジャズのド真ん中伝承系でもそれが起きていることを感じさせる作品だ。もちろん十二分に今の時代性を反映している、ということも加味して。


 

アルバムのリリースのタイミング前後くらいでそうそうに来日でのステージが予定されていた。当初未定だったメンバーも決まり、ローガン・リチャードソン、ジョー・サンダース、そしてケンドリック・スコットがドラムということで確定。

一月に父と叔父のグループで来日しているので5ヶ月ぶりなのでかなりペースが早い。

そしてケンドリックは日本に住んでるのかくらい最近よく来るが、それだけ信頼の厚いドラマーということの証。彼のリーダーバンド、つい観に行ってしまうのだが、軸が綺麗で体に似合わず繊細なところやダイナミクスが素晴らしい。

私が行ったのは6/5

来日後にTwitterでローガンが東京をみんなでうろついてる写真とかを上げていて微笑ましかった。

が、ライヴはそういった微笑ましさはなかった。

初っ端からそれぞれがギリギリの緊張感でぶつかり合う。スピード感溢れる演奏とかそういう話ではなく、それぞれが出す音の一音でも聞き逃せば振り落とされそうな感覚だった。それぞれのソロではみなが煽る、というか流した演奏が一つもない。

ローガンのソロは始まりは独特の哀愁を感じさせながら始まるのだが、だんだん延焼していくように音数が増えてダイナミクスも大きくなる。派手なアクションはないがゾクゾクする緊張感に溢れ、それが突然美しく放たれる。

ジョー・サンダースはステージでは全身、超オシャレに決めているが演奏前に靴を脱いでこの時点で緊張と緩和。ウッドベース、シンベと弾き繫ぐが、シンベの時の姿勢がポケットに片手を突っ込んで左手だけで弾くのだが、それがとてつもなくグルーヴィ。かと思えばウッドベースでの音域を広く使った想像力溢れるプレイ、、、ただものじゃない。

ケンドリックはいつものリーダーライヴの時のビシっとスーツじゃなくてTシャツ。その分、ドラマーとして演奏に徹しており、それぞれのメンバーの出す音に柔軟に反応していく。細やかな配慮と大胆さでアンサンブルの緊張感を常に高く保っている。演奏はフォーマルな装いながら、時に攻撃的にもなり、バンドが自由にどこへでも行くような感覚にしつつ、推進力としても機能していた。

主役のジェラルドはローズを正面に置き、ピアノに向かう。手さばきはほぼ見えないが時々後ろを振返りメンバーとアイコンタクトを取っていた。とにかく繊細で集中力の高い演奏でバンドを引張る。美しいヴォイシングでうっとりさせたかと思うと、だんだんと緊張感の高い2音での音使い、リズミカルなシングルノートでの右手、、、。

アルバムの収録曲をメインにやっていたがこの日のこのカルテットならどんな曲をやってもすばらしかっただろう。バンド間の信頼感と緊張感はとてつもなく、お互いに命綱なんかつけづに高度な空中ブランコの技を展開しているような演奏だった。とにかくこの世代の名手たちが今持てる音楽力のすべてを遠慮なく総動員していた。観覧後のカタルシス、満足度の高さたるや。

奇をてらったところはない、だがジャズを直球でなげてもまだまだ行ける、そういった可能性を感じさせるライヴだった。

なにごとも新旧が問題なのではなく、ただなぞるだけではいけないということなのだろう。

(文・写真 :鈴木りゅうた)

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