来日間近のKurt Rosenwinkel 『Caipi』に関する評

現代ジャズギター界のカリスマ

90年代にカートという名のカリスマと言えばカート・コバーンだろう。残念ながら人は死をもって伝説を高め、巨大なものとする。彼についても恐らく彼の意図に反して、その死後に伝説は次々と強化されていった。

今回、主題に据えたのは名は同じ、ミュージシャンでもあるが、またそれとは全く別の方向でカリスマ的存在にある人物である。

ヘタウマが許される唯一の楽器かもしれないエレクトリックギターで例えばカート・コバーンはその象徴的存在だ。

一方でこちらのカートは実質的な技法的音楽解釈に置いて圧倒的な成果を出した人物といい切りたい。

21世紀にそうした影響を残している意味では最大のカリスマだ。

カート・ローゼンウインケルを最初に聴いたのは2000年にリリースされた『The Enemies of Energy』だったと思う。当時個人的にはあまりロックを聴かなくなっていった時期で、そんな中この作品は入りやすくとても新鮮に受け止めたと記憶している。

マーク・ターナーとのギターとテナーサックスの絡みが格好よく、またギタリストの作品でありながら楽曲主体のプロデュース、影の強いメロディやアドリブ、自分の声を効果的にギターのラインに被せて歌うスタイルなどなど、当時23くらいの私は「なんだこれは、カッコいい!」と大きなインパクトを受けた。

その後、割とすぐ出た『next step』の一曲目”Zivago”が格好よすぎて鼻血。しかも最後の曲が”ピアノを弾いている、ギターじゃない!”みたいな感じがまだ20代の身には捻りが利いて格好よく見えたのである。

そこからマーク・ターナー作品の深堀りやポール・モチアンのエレクトリック・ビバップ・バンドやらクリス・チーク作品など20代の熱量で聴き漁った。

2002年に渡米中ももちろん何度か見た。

当時はたしか月曜日のsmallsのレギュラーをカートがやっていてジェフ・バラードやベン・ストリートなんかも見た。デビッド・ビニーの55Barでのギグにトラでカートが弾いていたなんでこともあった。

その後、日本でもエリック・ハーランドのバンドでピットインに来た時やら、たくさん観ている。

大きな感想はいつも放つ暗黒の闘気のようなギターのプレイ。

薄暗く熱量があったり、美しいけれど儚い、少し薄気味悪いようなテイストがある。

特に下降系のフレーズは特徴的で2000年代に出てくる多くのジャズギタリストにカート的な要素が数多く見られ、その影響は強大すぎる。

日本でのカートのライヴに足を運ぶ人も半分くらいは少しでもギターを弾く人なのではないか。

けっこういろんなルーツが見える人だが最終的にカート・ローゼンウインケルでしかないスタイルというところも長い間ファンの多いところではないだろうか。

何より私自身はギタリストとしての評価はもちろんのことだが、それ以上に素晴らしいソングライターだなといつも感心してしまう。

メロディの美しさや世界観の立体的な感覚はギタリストとしての評価が先立ってあまりされていないような気もするので、もったいない。

このあたりはもっと評価されていい(もう評価されてるっていうならまだまだ足りないと思う)。

また表現が”ジャズをやりたい””とか”ロックでいくぜ!”というようなスタイルを中心にしているのではなくて明確に世界観を提示していて、もっとビョークとかエルメート・パスコワールとかそういう人に近いのではないだろうか。

この人はたぶんけっこう変わった人で、ファッションが独特で自分流、NYのライヴ後の様子とかも何か不思議なおおらかさというかがある。

ギターのチューニングもどんどん変えてしまう時期があったり、2000年代は明らかにギターのセッティングに無頓着な風情の時があったりした。

一方で交友関係も独特でQ-tipにプロデュースを依頼してヒップホップではなくてポストロック的な密室感溢れる領域まで踏み込んだ『HeartCore』は未だに色褪せない一つ先行くジャンル分け不要の音楽として君臨している。

そしてどの作品にも共通して現れる繊細で美しいフィーリングには異常に中毒性がある。


変わりつつある表現の方向性

昨年の夏にトリオでのライヴを見たのだが実はこのライヴに私はけっこう驚いている。

今までのプレイに見えた薄暗さがない。

彼はもう7、8年以上前だと思うが今はニューヨークを離れドイツに住み子供が2人いる。丁度10年くらい前にニューヨークにいる友人からカートの奥さんが「カートのやる音楽がアンハッピーだから嫌いだ」みたいなことを言っていてカートも困っちゃうみたいな感じだったらしく、その後、結婚して、表現の方向性が少しずつ変わってるのかなと思っていた。

その結果が作夏のライヴかと思った。そしてその延長線上にこの2月にリリースされた『Caipi』のリリースがあると思う。

自らのレーベルからリリースされ、日本で精力的に招聘やリリースを行なっているSong X Jazzとの共闘での配給。

概ねの評論は『Heartcore』ミーツ・ミナスというところだろうか。翻訳されているインタヴューでも本人が語るところでもあるので、ここでそれを掘り下げてもあまり意味が無いと思っている。

そこはつまりそういうことなのだろう。

様々な楽器を概ね一人でこなし、ギターのなぞるメロディにピッチシフターのように自身の歌を被せていたところをシンガーに置き換えていて、割と歌ものの風情。

話題になりそうなマルチミュージシャンのアントニオ・ロウレイロや変わりどころでは最近交流のあるエリック・クラプトンも参加している。

しかし、このブラジル感がとてつもなく個性的というかカート・ローゼンウインケルの世界としか言いようがない。とてつもなく明るい作風になったがそれでもカート節は健在で、そこは流石としかいいようがない。

これを聴いて思い出したのは以前に観たトニーニョ・オルタとのライヴ。

無理矢理接着したような不思議な世界が表出されていて、カートはその時、ブラジリアンに寄った印象があまりなかった。トニーニョも別にカートによるわけではなく、お互いに敬意を表しながらも全く異世界がなぜか繋がっているという感覚だった。

実際、これまでもブラジリアンテイストを用いることはあったが、それはあくまで技法としてまでだったと思う。

この作品はブラジルを彼なりに消化し大きく残しつつ、あくまでカート・ローゼンウインケルの世界になっている。

しかも明るく。

この未だ進化をやめない感じ。適度に裏切ってくるので未だにウオッチャーをやめられない。

あと今作に限って言えば朋友ともいえるマーク・ターナーが参加しているのは少し嬉しかった。マークは指切断事故なんかもあったが、復活。

いつも素晴らしい音楽を奏でていてちょっと別腹。
とはいえ今回の来日公演はどういうカート節なのか目が離せない。

文・写真:鈴木りゅうた

『Caipi』

カート・ローゼンウインケル Kurt Rosenwinkel

2017 SONG X 042

パーソネル
カート・ローゼンウインケル
アコースティックギター、エレクトリックギター、ドラムス、パーカッション、ベース、ピア ノ、シンセ、カシオ、声

ペドロ・マルティネス    声(1、2、3、5、7、8、9、10、12)、
ドラムス(7)、パーカッション(5)、キーボード(2、7、4)
フレデリック・クリエール  ヴァイオリン(2,6,11)
アンディ・アベール     ドラムス(2)
アントニオ・ロウレイロ   声(3)
アレックス・コズミディ   バリトンギター(3)
カイラ・ガレイ       声(5)
ゾラ・メネノア       声(11)
アマンダ・ブレッカー    声(8、9、10)
クリス・コマー       フレンチホルン(12)
マーク・ターナー      テナーサックス(8、9)
エリック・クラプトン    ギター(9)

 

01.Caipi      3:57
02.Kama 4:30
03.Casio Vanguard 6:22
04.Song for our Sea 8:25
05.Summer Song 5:42
06.Chromatic B 4:46
07.Hold on 5:33
08.Ezra 6:18
09.Little Dream 5:04
10.Casio Escher 6:49
11.Interscape 5:47
12.Little B 6:16

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