エスペランサ・スポルディングのトリオを見る

ジャズから飛び出した二人のカリスマ

2010年代に最もジャズファン以外にアプローチしたジャズミュージシャンはなんといってもロバート・グラスパーだろう。

音楽として厳密に新しいかといえば必ずしもそういうことではなく(もはや新しさは現代の音楽への評価基準には適さないのでは?)、とにかくポップスとして良質だった『Black Radio』はクリス・デイヴのグルーヴィで自由な手組から放つドラム、デリック・ホッジの重厚なベース、ケイジー・ベンジャミンの飛び道具的なヴォコーダーやサックス、そしてグラスパーのとにかくメロウでスウィートなハーモニーセンスに裏打ちされたピアノやエレピの上でヴォーカリストやラッパーが黒く輝く様は異様に瑞々しい。

打ち込み全盛のサウンドの中で技量も十分なミュージシャンが見せるフィジカルな感覚溢れる演奏はとてつもない存在感を放った。

2012年頃、あの音に触れたジャズやニューソウル界隈以外の趣向を持つまだグラスパーを知らない音楽愛好家は一様に”これは誰?”と聴いていたように思う。

一方で10年ごとに繰り返されるジャズ界隈の”これはジャズか否か?”という論争が彼を中心に巻き起こり、大きなトピックとなったということもグラスパーの音楽が一つのステータスへ到達した証左といってもいいだろう。

彼の音楽に端を発した”Jazz the new chapter”というカテゴリが日本のマーケットでは幅を利かせジャズの中でもジャンル越境型の音楽市場にフュージョン以来の大きな光を当てることに成功している。

また彼のパーソナリティも今までのジャズマンの一般的なイメージを逸脱している側面がある。フォーマルな場でもある程度カジュアルなファッションで押し通し、あくまでアカデミックではないブラックミュージックに対する敬意も強く、そうしたアンダーグラウンドなヒップホップやR&B、クラブミュージックに対するシンパシーをやめない。

そうした反骨的な姿勢も魅力の一つであり、トータルしたアフリカンアメリカンの音楽という大きな枠組みの存在を改めて世間にプレゼンテーションするのに成功したことも彼のステータスを形作っている。

 


2010年代スターの登場

そしてもう一人の人気者であるエスペランザ・スポルディングはまたそれとは少し違うレイヤーにいると僕は思っている。

バラク・オバマのお気に入りでもあり、ノーベル賞やアカデミー賞などの授賞式などでも演奏するなどフォーマルな華々しい世界にもよくピックアップされ、グラミー賞新人賞などをジャズミュージシャンとしてジャスティン・ビーバーを抑えて受賞するなどとにかく経歴が華々しい。

では経歴だけかといえば、作る楽曲はブラックミュージックやブラジリアンをしっかりと咀嚼し、清涼感溢れるサウンド、グルーヴィーなベース、跳ね回るようなハイトーンのヴォーカルなどミュージシャンとしての実力は一聴すれば納得するというものだろう。

アフロヘアーにウッドベースを弾きながら美声で歌う様はもう十分にファッショナブルだし、その上、美人ときたら弱点が見当たらない。スター性の塊である。

また政治的なメッセージも多いに発し、このPVはアメリカにおける黒人の歴史教育についてのアンチテーゼがテーマであり、性の平等、捕虜の自由、人間の尊厳などグローバルなメッセージをテーマにすることも多い。

2012年に彼女に30分だけインタヴューをしたが、オープンマインドで快活、頭脳の回転はすこぶる早い。

『Radio Music Society』は自らの作品でエレクトリックベースを主に用いた最初の作品だが、彼女曰く「テリ・リン・キャリントンと一緒にバンドをやっていて彼女に”エレクトリックベースは全然サウンドしていないわね、やめとけば?”とよく言われていたけど、やらないといつまでも出来るようにはならないから(笑)。今ではけっこう弾けるじゃないと言われてるの」と快活に話していた。

一方でプロデュースはQ-tipなのかと聞くと「いいえ、私がプロデューサーよ。彼にはアドバイスは貰ったけど。しかも全部の曲でもないし」とはっきりと言っていた。

明らかにこれについては不満げだった。

日本でのメディアや販売促進の展開としてはQ-tipのネームバリューを押し出す向きも多かったが、作品としてはヒップホップに接近したというものではなく、ビッグバンドありフュージョンあり、ソウルあり、ファンクありでもっとブラックミュージックのファンタージーに寄り添った作品だったし、彼女の自分の仕事に対するプライドとうことを考えると当然のことともいえるだろう。

割と具体的な話もしていて”Crown&Kissed”という曲のバスドラムのサウンドについてはQ-Tipに相談し、相当アドヴァイスをもらったという。

 

実際、クレジットとしてはExective Producerとしてということを考えると関わり方は彼女が話す通りなのだろう。

ライヴもこのプロジェクトでは2度観ているがコンセプトを意識したビッグバンド編成でエンターテイメントなショーという感じだった。

途中、ツアーに同行していたはみだし系ギタリストのジェフ・リー・ジョンソンが亡くなったりもしたがかなり長く世界中を興行していた。


つづいてリリースしたEmily’s D+Evolutionも強烈にコンセプチャルでマシュー・スティーブンスのディストーションの効いたギター、不思議なメロディの歪んだ世界観の楽曲はポストロック的なところにアプローチした。

ファッションもアフロをタイトなツイストにし、ビビッドなスーツに身を包んでいて、当時リリース前に東京ジャズで演奏し、前情報無しに見に行っていた友人は「あまりにも思っていたのと違いすぎる…」と驚愕していた。

今まで出した作品は初期のインディー作品以降はアルバム全体を一つのコンセプトで統一して緻密に作る。そんなアーティスティックな人というのが私のエスペランザへのイメージだ。


突如の来日公演

今回、急遽2月の末に来日公演の情報が公開され、実際にブルーノート東京でそのライヴを体験するとそのイメージが今回書き換えられた。

というより今、また違うタームに入ったと感じた。

私が見たのは3月29日の1stステージのみ。編成はマシュー・スティーヴンスをギターに、ジャスティン・タイソンをドラムに迎えたトリオ編成。エルメート・パスコワールやチック・コリアの曲、アルバムで演奏したウェイン・ショーターの“EndengeredSapceceis”に加え、自身のアルバムのそれぞれからも取り上げ3人で再構築していく、というよりは3人で音楽を楽しむ、そんなライヴに感じた。

大胆にマシュー・スティーヴンスのギターをフィーチャーし、少し歪んだガリガリした音を多用する彼のギターはともすれば一本調子になる危険性もある。彼の演奏を何度か観てきて全面的にベストとは言えない人選かもなと思う反面、新たな曲の魅力を引き出す部分もあり、また現代的ないろいろな成分がマージされたプレイはアップトゥデイトな存在ということは理解できた。

シングルコイルのギターで少しハイのきついヒステリックにサウンドでガンガン押しまくるプレイはストレス性が高い。ただそうした中にも新しいアプローチを模索していた。“Cinamon Tree”ではサビの音量コントロールが上手く行かず少し不完全燃焼だった。

ジャスティン・タイソン。この人はよく歌を意識しているドラムを叩く。全くもって80年代の映画のモブキャラのようなファッション(たぶん額に巻いたバンダナのせい!)であったが、グルーヴィでかつ歌に寄り添うような間の取り方で叩く。

曲想にたいしてのアプローチや展開へのストーリー性を意識していて、彼のドラムがあり、その上でマシュー・スティーブンスのギターとエスペランザのベースと歌が自由度を高く保てる。結果、奥行きのあるトリオになっていた。

この日の主役は圧倒的だった。登場から誰もが彼女の一挙手一投足に反応した。

ベースも歌も自在。

好きなところに飛んでいくが常にポップな装い。

後半の美しい”unconditonal Love”は1コーラス目で凄まじい感動を覚えた。

そしてなにより楽しそうにベースを弾く。

曲も3人でどんどん自由に行く感覚を牽引していて、「あれ?この人はもっとコンセプトありきの人なのでは?」と思ったが、終始、それぞれのインプロもフィーチャーし、アイコンタクトだけでほんの少し先の展開を構築していっていたように見えた。

これはある意味でまた新機軸を打ち出しているのかもしれない。

どちらにしてもそうしたもっとセッション的なアプローチを進めた場合、いったいどんなものを取り出してみせるのか、なにか予言めいたライブだった。

文・写真:鈴木りゅうた

執筆・取材・掲載等のご依頼はこちら

google Ad

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です