グレッチェン・パーラトを観に行った

新しい世代の台頭

2005年くらいに感じていたのがジャズミュージシャンの新しい世代が流入し比重が変わってきているということ。

常に若い才能は発見され続けてきたが、このあたりから音楽的に特に保守的でもなく、かといって伝統なんか大っ嫌いだというわけでもない、でも何か常に探っているような音楽性が自然体で出てくるようなタイプの人々のことだ。技巧に対しても全然遠慮なくて貪欲でもあるがあくまで全体の音楽観も観れるミュージシャン。いろいろな世界の音楽に対して普通に開いている感じの人々だ。

この世代の人々が2010年代の後半の今の音楽の趨勢を握っているのではないだろうか。いろいろなものを再評価して価値観の再提示もされてきているし、相当ニュアンスが変わってきている印象を個人的には強く感じている。以前は異端だったものが一つのメインストリームになる。彼らは真ん中にもいくし、辺境にもすぐに出かけて行き、往来を繰り返しているのだ。

グレッチェン・パーラトはそういう意味では“今の時代の真ん中にいるボーカリスト”だと思う。すごく古典も感じさせるし、新しくもある。技巧的で理論派の空気もありながらセンシティヴで感情的でもある。それ以上に彼女のヴォーカルにはブルーな、アンニュイな雰囲気が煙のようにつねに立ちこめていてある種のスモーキーさがある。いわゆるブルース直系の感じではない。だがたしかにこれは言葉通りの“青い”感覚がある。

そうした感覚は自身の作品でもゲストでも確かな技術とキャラクターが確立されており、彼女の世界観が確かに存在している。


彼女のアルバムでの演奏を支える人物たちも、今現在このシーンを引張る中心人物たちだ。

参加者のロバート・グラスパー、デリック・ホッジ、ケンドリック・スコット、リオネル・ルエケなどはもはや細々と説明する必要がない。最近、彼らが契約しているブルーノートでスーパーバンド的な2枚組アルバムを発表していてそれも素晴らしかった。

他にもテイラー・アウグスティ、アラン・ハンプトン、アローン・パークス、そして夫でもあるドラム界の新カリスマ、マーク・ジュリアナ…etc

更にレベッカ・マーティン、ベッカ・スティーブンスとのユニットであるTillery、そして様々な客演も行なっていて、どのような場面でもフィットしつつどこか彼女らしい質感がしっかり残っている。そういう意味ではヴォーカリストとしてもファーストコールの一人とも言えるだろう。

もちろん彼女自身の作品はどれもほどよいマッタリ感があってとても良い。単純に耳あたりがいいということではなく、何か感傷的な気持ちにさせる。

その中でもライヴアルバムがすごく気持ち良くて当初はヘヴィローテーションしていた。オープニングナンバーのハービー・ハンコックの“バタフライ”での彼女の出すスキャットのリズム感。ブレスもリズムとして取入れていて人体という楽器でありつつ、そちらに行き過ぎずというかそれをテクニカルに見せつけず歌の範疇で表出させている。他の楽曲もそうした感覚なのだろう。あくまで歌として楽しませてくれる。スタジオアルバムもアレンジ含めて素晴らしいがライヴでこそのこの世界観が素晴らしいと思ったのであった。


幽玄と恍惚の世界観で魅せるライヴ

9月にそんなグレッチェンがブルーノートにてステージに立つということで観に行った。確か最近は子育てママで今回もお子さんを連れて来日していたようだ。ドラムに夫のマーク・ジュリアナ(ちょうどアルバムが出たタイミングでもあった)、ベースにアラン・ハンプトン、ピアノはサモラ・ピンダーフューズ。ピンダーフューズは初めてライヴで見るプレイヤーだった。

なんというかとにかく滑らかな世界だった。常に恍惚とした中にいる感覚になった。演奏陣も含めて一音一音が滑らかで艶っぽい。なんというかこの淫靡でもあり美しい音の世界。誰もがうっとり聴くという感じだった。そうしたテイストとハッキリ強調するわけではないがポケットの感じさせるグルーヴ感が何かより彼女の音楽を現代的なものにしているのだろう。

ただ、そうした何か夜の世界というか、メランコリーなものが協調されるだけではないもっと日差しを感じさせる部分もあった。今回はとくに顕著だったのはアラン・ハンプトンがギターを弾き一緒に歌う場面。そこには素朴な歌があった。それを聴いてハッと思ったのは彼女の歌の中には常にすごくシンプルなものがあるんじゃないかということ。彼女が歌うことでつい口づさみたくなるような何か。思わず「これ、こんないい曲なんだな」と思わせるような太いシンプルネス。

それで振返って見ると2009年のアルバム『In a dream』で”I can’t help it”をやっていて、その後にエスペランサもカヴァーしている。しかもコーラスにグレッチェンが参加していて面白い。またそうした歌のシンプルネスというか強さがある上でのテクニックであり、さらに世界観がある。

彼女の恍惚とした世界観に浸りきって気持ちよくなる会場内でそんなことを考えた

 

(文/写真:鈴木りゅうた)

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