ロバート・グラスパーとの邂逅
ロバート・グラスパーの存在をはっきりと認識したのはたぶん2004年のことだ。当時、ニューヨーク滞在時代に友人になったベーシストとIP電話で話した時に、今一番勢いがあるのは誰か聴いたら、ロバート・グラスパーやクリス・デイブの話になった。
ロバート・グラスパーはその当時、新しいミュージシャンをどんどんピックアップしてリリースしているFresh Soundsから『Mood』というアルバムを出していた。これが中々、日本ではレアで当時、すぐには手に入らなかった。
その後、2005年に今度はブルーノートに移籍して『Canvas』を出した。これは大手の流通に乗っかったこともあり、すぐに聴くことが出来た。
かなりアコースティックな内容で「聞いてた話とちがうじゃん」と思ったのを覚えている。ただ、それでも内省的だが、重心の低いグルーヴを感じさせるノリと、R&Bやゴスペルっぽい甘美なハーモニーセンスを感じさせた。
その後、すぐぐらいにNYから一時帰国した友人が、自らライヴで隠録りした音源を聴かせてくれた。彼がもともと友人の多い男だったこともあり、これはけっこう出回って、渋谷あたりでジャムってるミュージシャンたちはみんなザワザワしていた。
「ロバート・グラスパー!やばい。クリス・デイヴが自由に叩くのを一度見てみたい!」という感じに。
日本のミュージシャンが大注目する存在へ
その後、同じタイミングでクリス・デイブはミシェル・ンデゲオチェロのジャズ・プロジェクトの大半でドラムを叩き、それもものすごいインパクトだった。
クリス・デイブのドラムは、まずとてつもなくレイドバックしていたり、アクセントが面白かったりする。一定のパルスを感じさせながら小節をはみ出していったりする。それがスリリングで堪らなかった。
ロバート・グラスパーについても、ジャズのアドリヴによるスリリングなアプローチと、R&Bのスウィートでグルーヴィなセンスを兼ね備えたRobert Glasper Experiment での演奏での存在感は衝撃だった。
フレーズをサンプラーのようにぶった切った時に出るようなアヴストラクトなループ感の聴いたハーモニックセンス。柔軟なスピード感。とにかくかっこいいメロウでスウィートなリフ。まったりしているのだが、鋭利な感覚…
その後「『mood』のほうが雰囲気がいいんだよ」という推薦を受けて聴くと、いきなりの妖しい世界。朋友ビラルがゲストで参加して、オープニングのハービー・ハンコックの“ Maiden Voyage』から強烈なオリジナリティを放っていた。その時思ったのは、「この人はブラックミュージックの歴史を横断してるのかな」と思った。『mood』にはオーセンティックなジャズの技法を散りばめ、スウィングする演奏もある。
初来日はトリオ、そしてエクスペリメントでの大活躍
その後、ちょくちょく来日するようになるのに時間はかからなかったと思う。たぶん初来日は2007年くらいじゃないだろうか。
その時にコットンクラブへ見に行った記憶がある。最初はクリス・デイブがドラマーとしてクレジットされていたが、結局、エリック・ハーランドになった。
客席はまばらな感じだったが、熱心なジャズファンがけっこう来ていた。その時はどちらかというとオーセンティックなプレイを見せていたが、現在のスタイルに通じるどこかユーモアあふれる引用のセンスや、リズミックなパターン、メロディアスな分散和音の使い方、両腕がバラバラなシーケンスで組み合わさると一つのリズミックなモチーフになっているプレイなどは印象的だった。
その後、ビラルやクリス・デイヴとエクスペリメントで来日しているはずだ。残念ながらこれは見ていない。トリオとエクスペリメント、二つのユニットを収録した『Double Booked』は当時一部の20~40代ジャズファンには話題になったはずだ。これが2009年のことだ。その時にはすでに現代的なジャズアプローチというかブラックミュージックの歴史を総括した形でのジャズのプレゼンテーションに対して、かなりのフォロワーがついていたと思う。
2012年に『Black Radio』をリリースしてセールス的に完全にステップに乗った。当時レヴューを雑誌に寄稿したが、発売前に聴いた時は衝撃だった。ソロは極限まで削られ、ゲストにたくさんのヴォーカリストを招き、とにかく黒いグルーヴ。歌という要素にまとめられながらも瞬発力を感じるアンサンブルは、ジャズミュージシャンでしかなし得ない到達点だろう。
このアルバムがコンピのようにならなかったのは演奏するミュージシャンのキャラクターに溢れていたからでもある。
とろけるように甘いグラスパーのオブリやコンピング、音色選びのセンス、クリス・デイブの自由な発想のドラムの基本グルーヴとフィル、デリック・ホッジのひたすら深淵へ潜るような太く重たいベース、そして飛び道具のように飛び回るケージー・ベンジャミン。コンセプトと演奏技術の最強タッグだ。
その後、エクスペリメントでは2枚のアルバムを出し、マイルスの映画のサントラなどなどなど、とにかく活躍しまくっている。
そして再びトリオでの活動へ
トリオでは一時休止していた『Coverd』を録音。アコースティックな要素を表看板にしながら、あえてサンプリング的な手法を手技だけで表現していた。進化したロバート・グラスパーのセンスを感じた。ここでは元来、メロウで内省的なセンスも色濃くもっていて、そうしたナイーヴでロマンチックな表現はそのまま残されている。
このトリオは2015年に横浜で行なわれたブルーノートジャズフェスティヴァルで見ている。そのステージのメンバーは、一緒に演奏を続けてきたベーシストのヴィセンテ・アーチャーとドラムのダミオン・リード。終始、3人でコントでもやっているかのように笑いながら、お互いのセンスをぶつけ合っていた。フリはグラスパー、ツッコミを二人がして、再びグラスパーが落とす。(そういえば、この日はパット・メセニーとも共演したのだった。)
2017年の年末、カウントダウンを経て2018年と日本に滞在するというグラスパー。忙しいだろうが、演奏する場に対しては熱心だ。
日本にはよく来る。これは一重に、日本での人気の高さを示してもいるし、柳楽光隆氏などがJAZZ The New Chapterという構想をあげて、その旗手としてロバート・グラスパーが選ばれているからということもある。
ブラックミュージックという大きな括りの中で歴史の中に身を置いている感じをロバート・グラスパーから受ける。ブルース的な感覚も感じるし、スピリチャルでもある。その上ですごく人間くさい音楽だ。”やるせなさ”や人生の”どうにもならない”でも甘くて、美しい世界とかそういうものへの憧れなんかを感じさせる。菊地成孔さんが「黒人音楽は暴力へ行くか、宇宙に行く。グラスパーは宇宙に行きかけている」と語っていた。これは選ぶ音色についての話なのだが、グラスパーのサウンドにはある種のエクソダスへの希求が感じられる。
というわけで新年3日目の1stセットを見に行った。この日はヴィセンテとダミオンに加えて、エクスペリメントのレコーディングにも参加しているジャヒ・サンダンスがDJとして参加した。
登場するとさっそくサンダンスがサンプルを回して、ハービー・ハンコックの“Tell me a Bed time story”から始まった。非常にゆったりと間を取りながらよく伸ばして弾かれるテーマはメロウで美しく、ひたすらロマンチックだった。そこからはMCはなくひたすら曲を自由に演奏する。
途中、モンクやパーカーなどのフレーズや曲を引用する。リズムはしっかりと、しかし変化を持って打ち出される。フリーだがノイジーになることはない。ダミオンのドラムはある程度規則性を持って変化を提示する。4小節なり8小節なりの構造を持っていたので、わかりやすさがあった。そしてとにかくデッドなシンバル。全然サスティンがないので、打点だけが強調され、かつ他の楽器との分離が良かった。
ヴィセンテのベースは、まるで海のようだった。どこでなにがあっても受け止める。右手は人差し指だけでウネウネとピチカートをし、それによって音色をコントロールする。かつリズムは腰があってねばり強い。もともと名手だが、精神的な安定感もすごくあるのだろう。彼のベースが一緒ならある程度の冒険にも安心感があるのだろう。事実、グラスパーはかなり自由に跳ね回った。だが全てを柔軟にニコニコしながら追従する。特に自分から攻めにまわりはしないが、とにかく受ける。
サンダンスは時々登場しては、詩の断片や演説をサンプリングした素材をスクラッチ的に乗せてくる。途中、携帯をいじり始めたら写真を取っていた。グラスパーもその後、携帯を出してヴィセンテを撮影していた。
主役のグラスパーはまるで我が家という具合のリラックスぶりだった。「あけましておめでとうございます」という挨拶から始まり、紡ぎだす音はとにかく楽しさに溢れていたし、美しかった。
この日のステージを見ると、トリオやエクスペリメントでは今まで、ステージをオーガナイズすることに追われていたんだなと感じた。そうしたプロデューサー的な側面は、この日のライヴではピアニストとしてのロバート・グラスパーに変わっていた。柔軟な音楽センスとネタ、そして切れ味するどく強靭なリズム感、メロウで甘く都会的なハーモニーセンス。
これを見て文句をいう人はあまりいないだろう。演奏家としても絶好調なんだなということがわかった。つまようじをくわえてTシャツというところは変わらぬ彼の信条が見えた。
「もっとリアルな今の音楽をやってるんすよ!」
そんな感じ。
個人的にも新年最初に見れて非常によかった。
文・写真/鈴木りゅうた
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