鈴木りゅうた
文筆家・音楽愛好家・料理研究家
執筆分野は音楽、文化、グルメ、社会、医療、マーケティング
北海道札幌市生まれ。
転勤族の親の都合で10代までは日本の様々な場所に住む。その後、父の脱サラを機に北海道の人よりキツネの方が多いエリアで10代を過ごし、ロック少年として成長。札幌市内の大学に進学しオールディーズ〜グラインドコアまで様々なロック関連のバンドをやる。
フリージーなファンクをきっかけにブラックミュージックに目覚める。その流れでエレクトリックマイルスをきっかけにジャズの歴史を前後に追い始めた結果、どこかはみ出したジャズ表現に熱中するようになり、越境型音楽を追い求めるようになる。
その後、札幌の企業に就職。だが音楽活動は継続し、ほぼ睡眠時間2時間で毎日を過ごしバンド活動にも没頭。ライヴハウスやクラブでのファンクイベントを主催するなど精力的な活動を20代も続ける。その頃、音楽活動と併行してライターとして音楽系記事を雑誌等に書くようになる。
調子に乗って2002年に会社員を辞めてニューヨークへ渡航。昼間はタイムズスクエアの近くにあったそば屋(49st。今はもうない)でバイトしつつ、毎日ライヴを梯子して過ごす。1日に3つ以上のライヴを見る日もざらにある生活。楽器を抱えジャムセッションに参加し、楽器を練習し、自ら音楽の渦へ飛び込んで体験する日々。
様々なミュージシャンと出会い、ニューヨークがより面白くなっていく。バイト先にもたくさんのミュージシャンや有名人がふらりとやって来て、気さくに話しかけてくることもあった。映画監督のスパイク・リー、ジェイムス・カーター(sax)は常連。ライヴをよく見に行っていたデビッド・ギルモアが来店時に弟子入りを志願しレッスンを受ける。
仲良くなった違法入国のメキシコ人たちが母国へ戻った時の生活の厳しさについて様々に聞かされるうちに「日本人、超恵まれてるじゃん」と帰国して頑張るのも必要と考え帰国。
帰国後は2004年より東京へ拠点を移す。楽譜の解説インタヴューなどをきっかけに邦楽を中心に執筆するようになる。その頃、参加していた音楽誌は今では全紙廃刊。就職情報サイトなどの所謂ジャンル違いのものもこなしていくようになる。
東京では自転車を乗り回して旧跡を尋ねたりと経済的にコンパクトなライフスタイルを模索しつつ、毎日深夜のセッションにでかけ歩いていたが、2007年ごろ病気が発覚し死にかける。
復活後は体力回復の確認に東海道五十三次を3泊4日で自転車で駆け抜け、意外に人生楽しいなと思う。江戸検定2級を取得したりと迷走期へ突入。再び自身の音楽活動を活発化し、ツアーも行った。
2011年に震災をきっかけに本来の目的をもう一度考え直す。この頃からジャズ関連雑誌に多数寄稿。エスペランサ・スポルディングスやスナーキー・パピーのマイケル・リーグなどグラミー受賞アーティストへもインタビューも。
他にもブライアン・ブレイド、ジュリアン・レイジ、シャバカ・ハッチングスなどの海外、国内ミュージシャン多数。

ボルネオで踊らされる私
ライフワークは音楽全般の他はギター。趣味は自転車(街乗り)、旧跡巡り、歴史探訪、クラリネット。犬派だったがネコを飼い始めてネコ派になり日々「可愛すぎる」と溺愛中。話すと社会派。
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